オレもこんな本が書きたい

ぼくがもっとも好きな山の本。
それは「みんな山が大好きだった」(山際淳司著 中公文庫)。

僕が生まれる前に輝いていた先鋭的アルピニストたちの生と死を温かい眼差しで綴ったノンフィクション。
著者の山際淳司さんの文章がとても人間クサくて、アツくて好きなんです。

この本は、こんな一文からはじまる。

「男にとって、”幸福な死”と”不幸な死”があるとすれば、山における死は明らかに前者に属するのではないかと思う。
それが、この本の出発点である。」



たとえば、こんな文句が好きだ。

「今は欲望開放の時代だ。
ボーッと口を開けて街を歩いていれば、何でも飛びこんでくる。物はいやというほどあふれているし、オモシロそうなことは、自分で見つけようとしなくても、向こうから飛びこんでくる。テレビではタモリが、毎日、笑っていいとも!といっている。芸能人は相変わらず、毎日のようにワイドショー向けの話題を作り出している。視聴者は、それを見て、バカねーといいながら笑っていればいいのだ。ドライブしながらカーステレオのスイッチを入れれば、気分のいい音楽が流れ出てくることになっている。不安をかきたてるようなことをいう奴はいないし、死にたくなるような曲が流れてくることはない。みんながみんな、快楽原則のなかで生きているかのごとくなのだ。
しかし、考えてみれば、なんと不幸な時代なのだろう。苦しむことさえ、容易にできなくなってしまったのだ。
今は、苦しむことに飢えなければならない。〈楽〉はどこにでも転がっているが、〈苦〉はなかなかみつからない。
山の苦業は、今、貴重である。」



なんだかドキッとするではないか。
そうだ、僕らは山へ〈苦〉を探しに行っているのかもしれない。



「(山頂で)遠くに町が見えれば、そのごみごみとしたありさまを見てガッカリする。あんなところでおれは必死になって生きていたのか、と。ふだんの生活がとるにたらないことのように思えるわけだ。”下界”にはないもう一つの価値が、たとえば山の頂上にあるように、どこかほかにもあるのではないかと気づく。
日常性の鎖を断ち切って、もう一つの価値をさがす旅はその瞬間から始まるのである。」



そういえば、僕が会社を辞めたのは、大学を卒業して再び山に登るようになった頃だったなあ。



森田勝や加藤保男、長谷川恒男など、いまは亡きアルピニストの残酷なまでに真っすぐな生き方を語りながら、人間が山へ向かう理由などを本の中に散りばめている。
ここに出てくる山は、あくまでもたとえだ。
目標は山に限らず、なんでもいい。
「問題は、本気で人生を生きれるかどうか」と山際さんは直球で投げかけてくる。
山際さんは、47歳の若さで14年前、病気のためお亡くなりになられた。

何度読んでも、毎回心が揺さぶられて痛い。
僕の本棚の中で、もっとも折り目の数が多い本なのだ。