「岩を登る」は、「世界が広がる」
夏、山に登るとなると人のいないところを登りたくなり、どうしても沢とか破線ルートを歩きたくなる。
人がいないところは、危ないわけで。
登攀技術がないといけないところもたくさんでてくる。
ロープワークやクライミングの技を身につければ、歩けるフィールドが広がるとなれば、やるしかねーろ。(新潟弁)
てなわけで、探検部のときにすこしかじっていたクライミングを再度お勉強することにした。
ロープが使えるジムは意外と少ないもので、足をのばしてPUMP川口店へ。
クライミングシューズとハーネスを荻窪のショップ「マウントフレンド」で購入。
シューズはラ・スポルティバ。
かなり昔のモデルなので、安くなってた。
でも、昔のやつってなんでかっこいいんでしょう。
「マウントフレンド」は、僕の行きつけの山店。
NZ生まれの「フェアリーダウン」のテントやBDの初期に発売されたワンポールテントなどが店の隅に眠っているのだ。
掘り出し物がまだまだたくさんあるのであんまり教えたくないのだが、店を救うためにも教えます。
だってこの前、奥さんが「私はいつでも店を閉めてもいいんですけどね」ってお客と話していたのを聞いてしまったのだ。
荻窪在住の山友達タツローと「マウントフレンド」を全面的に応援している。
かなりシブくて、本気で、モノ好きにはたまらない店なので一度是非。
シューズとハーネスには、こんなにダサかっこいいオリジナルバックがついてくる。
いま何か買うとオリジナルカレンダーがもらえるかも!
僕の部屋にはすでにふたつあります。
おじさんいいかげん僕の顔覚えてよ〜。
ストライカー
今日は、サッカーの話題。
今年、日本代表でいちばん多く得点をあげた選手。
ずっと彼が気になっていた。
本人も言っていたので、言わせてもらうけど、テクニックもなく、足も速いわけでなく、小柄で、どちらかといえば、いやどちらかと言わなくても地味なプレーヤー。
しかし、フタをあけてみれば、試合で誰よりも結果を残す。
「ガヤガヤ騒がんで、とりあえずオレのプレーをみといて」的な硬派な感じ。
とみせかけて、関西弁で冗談を飛ばし、チームを盛り上げるムードメーカーでもある。
第一印象は、「カラダの線が太い」。
好きな言葉は、「一生ダイビングヘッド」だそうで、この前ノメリな姿勢が、いいじゃないですか。
サッカーだけでなく、人生においてもダイビングヘッド!
こちらは、小学4年からいままでサッカーを続けていて、現在もチームに所属しているのだが、ぜんぜん参加できていない。
ま、ずっとサッカーで培ってきた体力があるからいま山に登れるわけで。
いまとなっては、サッカーに感謝しております。
岡崎慎司のインタビュー記事は、「Tarzan」1月7日発売にて!
こんなキレイな芝生をみるとカラダ中がワサワサしてきます。
雪の立山
初滑り!を目的に全国からスキーヤーやスノーボーダーが集まる、ウワサの11月末の立山へ行ってきた。
雪上キャンプの取材なのだが、ライターという仕事のうえに、さらに料理担当という任務を授かった。
とりあえず、鍋にしちゃえ!
というわけで、肉2キログラム、野菜、エノキ、うどん、ラーメンなどの2泊3日5人分の食料と調理器具、酒、個人装備を入れたら100lのパックは、パンパンに。
板どころの話ではなく、泣く泣く板は置いて、スノーシューとピッケルだけパックにとりつけた。
やっぱり雪をかぶった山はいいなあ。
沢は雪がついて白く染まり、風の強い稜線の岩はゴツゴツと威圧感まるだしで、すべての山が立体的に見えて、美しい。
そんな山容を見ていると、もう仕事なんてどうでもよくなってきて、ピッケル持って歩き出したくなる。
空気はキリリと澄んで、遠方まで見渡せ、どこにテントを張っても文句を言われず、水を持たなくていいし、人がいない。
いやいや、ここ立山は人がワンサカいた!
バックカントリーをやる人ってこんなにたくさんいたんだ!
しかも、その彼らのほとんどがマイナス10℃以下の雪上でテント泊だもんな。
シュプールを描きながら滑り降りるヤツらを指をくわえてみていた。
けれど、むしゃくしゃすることなく、なんだかずっとうれしかった。
1日目、雪面はカリカリだったけれど、夜に15センチほど雪が降った。
みんな我先にとパウダーを求めて早朝から山へ登るだろうと思いきや、みんなのんびりとテントの中でダラダラと過ごしている光景がよかった。
一ノ越に登ったら、夏に歩いた槍ヶ岳と雲ノ平らが見えた!
スラックライン
スラックラインにハマっています。
つまり、つな渡りというか、テープ渡り。
1960年代にヨセミテのクライマーがバランス感覚を養うためにクライミングロープ、またはスリングを木と木との間に張って、そのうえを歩いたのがはじまりだとか。
岩登りの順番待ちのときに時間を持て余して、誰かが遊びはじめたのでしょう。
なんだかこんなルーツの話や歴史もコイツに惹かれる原因でもある。
遊びって、人生にとって大事だよなあって。
最初は、誰でものれない。
立つのもむずかしい。
むずかしいからおもしろい。
全然カラダを動かしているつもりはないのに、カラダから汗が噴き出し、あっという間にアツくなる。
目に見えない体幹筋肉が鍛えられているのだとか。
コイツをやった次の日は、いつも筋肉痛になってしまう。
歩けるようになったので、次は座ったり、ジャンプしたり、ターンしたり。
ただの1本のテープなのに、無限に楽しめる。
誰にもできるし、木が2本あればどこでもできる。
これ以上にシンプルな遊びがあるでしょうか?!
僕が持っているのは、フランスのブランド「slack.fr」(スラック・エフアール)のプリミィティブ キット。
幅2.5㎝と狭く、ラインが空中式で弾力性というか、しなりがある。
表面生地も柔らかくてハダシが気持ちいい。
ラチェットがないので、軽くて、山にも持っていける。
詳しくは、12月10日発売のBE-PAL1月号の巻頭にて。
いま日本で購入できるスラックラインカタログや歴史、楽しみ方を紹介しています。
バックパック入院
バックパックはこんなのをつかっている。
・グレゴリー/パリセード80
・マックパック/グリセードクラシック70
・デイナデザイン/テラプレーン95
・クレッタルムーセン/Roskva65
気分によって選んで、山へもっていくわけだけど。
今夏、雲ノ平へ行ったときにパリセード80がイカレちまった。
雲ノ平といえば、いま売っている『岳人』12月号に「雲ノ平山荘今昔 48年間の歴史」をいう記事を志水哲也さんが書いていらっしゃる。
48年前、山道を切り開いて、資材を足で運んで雲ノ平山荘を建設した当時の苦労話や雲ノ平山荘の現状などを詳しくレポートされている。
あの小屋、今年の9月に取り壊されたんですね!?
テント場からビールを買いにめざしたあの小屋は、牧場の牛舎みたいな形をしていたっけなあ。
もっと写真を撮ったり、中を見せていただいておけばよかったと猛烈に後悔。
(左奥に見えるのが、いまはなき雲ノ平山荘)
話をもとにもどすと、パリセードが壊れたのだ。
ウェストハーネスのフレームがパキッといってしまった。
重い装備をゴタゴタ入れて、酷使したからだろう。
まあ、背負っている分には支障はないのだけど、長く歩くとなると心配。
というわけで、グレゴリー輸入代理店のエイアンドエフへ持っていった。
「新品と交換しましょう」
でもコイツとは、北欧北極圏450キロも歩いているし、いろんなところへ行った。
愛着があって離したくない。
背面もハーネスもようやく僕の体に合わせて変形したところなのだ。
困った、困った。
そこで、グレゴリーのオフィシャルリペアをしている大吾さんのところへ持っていった。
「おれ、コイツともっと旅がしたいんす。直してください」
「おお、じゃあ直してやるよ。ついでにボトムも破れているから張り替えてやるよ。ボトム部分黒くなるけどいいよね?やっかいな作業だなあ」
と、いいつつ大吾さんはうれしそうなのだ。
僕のパリセードはしばらくの間、エイアンドエフ本店の2階へ入院することになった。
本当は自分で直せたらいいんだろうけど、ここはプロにお任せします。
直して、使いまくって、自分の体のようになじませていくのが道具というものなのですね。
長く使えない道具などクソ食らえだと思う。
ああ、退院して生まれ変わったパリセードに会う日が楽しみだ。
オレもこんな本が書きたい
ぼくがもっとも好きな山の本。
それは「みんな山が大好きだった」(山際淳司著 中公文庫)。
僕が生まれる前に輝いていた先鋭的アルピニストたちの生と死を温かい眼差しで綴ったノンフィクション。
著者の山際淳司さんの文章がとても人間クサくて、アツくて好きなんです。
この本は、こんな一文からはじまる。
「男にとって、”幸福な死”と”不幸な死”があるとすれば、山における死は明らかに前者に属するのではないかと思う。
それが、この本の出発点である。」
たとえば、こんな文句が好きだ。
「今は欲望開放の時代だ。
ボーッと口を開けて街を歩いていれば、何でも飛びこんでくる。物はいやというほどあふれているし、オモシロそうなことは、自分で見つけようとしなくても、向こうから飛びこんでくる。テレビではタモリが、毎日、笑っていいとも!といっている。芸能人は相変わらず、毎日のようにワイドショー向けの話題を作り出している。視聴者は、それを見て、バカねーといいながら笑っていればいいのだ。ドライブしながらカーステレオのスイッチを入れれば、気分のいい音楽が流れ出てくることになっている。不安をかきたてるようなことをいう奴はいないし、死にたくなるような曲が流れてくることはない。みんながみんな、快楽原則のなかで生きているかのごとくなのだ。
しかし、考えてみれば、なんと不幸な時代なのだろう。苦しむことさえ、容易にできなくなってしまったのだ。
今は、苦しむことに飢えなければならない。〈楽〉はどこにでも転がっているが、〈苦〉はなかなかみつからない。
山の苦業は、今、貴重である。」
なんだかドキッとするではないか。
そうだ、僕らは山へ〈苦〉を探しに行っているのかもしれない。
「(山頂で)遠くに町が見えれば、そのごみごみとしたありさまを見てガッカリする。あんなところでおれは必死になって生きていたのか、と。ふだんの生活がとるにたらないことのように思えるわけだ。”下界”にはないもう一つの価値が、たとえば山の頂上にあるように、どこかほかにもあるのではないかと気づく。
日常性の鎖を断ち切って、もう一つの価値をさがす旅はその瞬間から始まるのである。」
そういえば、僕が会社を辞めたのは、大学を卒業して再び山に登るようになった頃だったなあ。
森田勝や加藤保男、長谷川恒男など、いまは亡きアルピニストの残酷なまでに真っすぐな生き方を語りながら、人間が山へ向かう理由などを本の中に散りばめている。
ここに出てくる山は、あくまでもたとえだ。
目標は山に限らず、なんでもいい。
「問題は、本気で人生を生きれるかどうか」と山際さんは直球で投げかけてくる。
山際さんは、47歳の若さで14年前、病気のためお亡くなりになられた。
何度読んでも、毎回心が揺さぶられて痛い。
僕の本棚の中で、もっとも折り目の数が多い本なのだ。