冬の上高地で星野道夫
今回の目的は、昨年と同じく蝶ヶ岳に登ること。
しかし、結論から言うと昨年同様前日に降った大雪で登れなかった。
どんなことがあっても横尾まで行くはずが、徳沢止まり。
雪の恐ろしさを改めて感じた山行だった。
2泊3日の行程だったのだけれど、予備日をもう1日用意するんだったな。
冬の上高地へは、松本駅から高山行きのバスに乗り、中の湯で下車。
そこから釜トンネル、大正池を通って、上高地バスターミナルへ徒歩約2時間。(雪次第!)
釜トンネル出口付近は、これからの時期、雪崩に注意が必要です。
日本海に大雪警報が発令された翌日の金曜日。
期待していた踏み跡はまったくナシ!
ヒザ上のラッセルが、釜トンネルを過ぎたあたりからずっと続いた。
そして、その雪は明神、徳沢へ近づくほどどんどん深くなっていく。
退院したばかりのグレゴリー「パリセード」を久しぶりに背負う。
やっぱりコイツは、僕の背中にしっくりくる。
生地の表面がサラッとしているから雪がつかないのもいい。
テントは、ヒルバーグの「ナロ2」を使用。
自立しないふたり用だけど、雪の上では、すごく便利。
前後の4隅を引っ張りながらスノーアンカーを使って固定するだけ。
最後にサイドの張り綱を雪の中に埋め込む。
徳沢で1泊、小梨平で1泊。
2日目の夜は寒くて何度も目が覚めた。
寝るのをあきらめて、ヘッドライトの光で星野道夫さんの「旅をする木」を読むと一字一字が、体にしみ込んでくる。
「人間の歴史は、ブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。だが、もし人間がこれからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、そして命がけで、ぼくたちの神話をつくらなければならない時が来るのかもしれない。」
「二十代のはじめ、親友の山での遭難を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、そしてある日突然打ち切られるものなのかをぼくは感じとった。私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、危うい、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。」
何度も読んでいる文章だけど、どんなときでも、何度読んでも心に染み渡る。
こんな文章をぼくもいつか書きたい。
いい年になりますように。
新年明けましておめでとうございます。
本年も皆様にとって、幸せいっぱいの年になりますようにお祈り申し上げます。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
さっき、『徹子の部屋』をみていたら星野仙一さんがこんなことを言っていました。
「人生は、幸せなことが3、4割で、悲しいことやつらいことが6、7割なんじゃないでしょうかね」
僕はせめて半々だと思うなあ。
いや、幸せなことが半分以上だと思うなあ。
どこまで物事を、悲しいことやつらいこととするのかは、自分次第ですもんね。
星野仙一さんには、孫が3人いて、そのうちのひとりは、5歳の男の子。
星野さん自身の子どもは、娘だけなので、男の子とキャッチボールができることがなにより幸せだと言っていました。
数年前に奥様をなくされ悲しいこともあったけど、いまは家族に囲まれてお孫さんにメロメロで幸せそうでした。
そしたら、徹子さんが
「星野さんのお孫さんですと、野球やったら何かにつけていろいろ言われそうですね。かわいそう」
とズバッと言いました。
この徹子さんのシュールなズバッとさを、今年は身につけたいと思います。
そして、目先のことを考えずにもっとバカになろうと思います。
仕事納め
アメリカの西海岸生まれのバックパックブランド「Gregory」は、日本にたったひとりだけリペア職人を抱えている。
そのリペアルームは、エイアンドエフ本店の2階にあり、日本人唯一のオフィシャル「Gregory」リペアマンであるダイゴさんが日本中から集まってきた「Gregory」のパックに再び命を吹きかけているのだ。
全国の旅人、登山家、アウトドアマンから届けられたボロボロの「Gregory」を見ているとなんだかいまにもココではないどこかへ行きたい気持ちになってくる。
パックに縫いつけられた国旗のエンブレム。
ボトムにこびりついた土。
岩に何度も引っ掛けられてできたいくつもの傷。
こいつらは、どこを旅してきたのだろう?
このリペアルームには、全国から届けられた旅がぎっしり詰まっている。
ダイゴさんの今年の仕事納めは、僕のパリセードくん。
ボトムの部分に小さく穴があき、バックルとの連結部分が引裂かれたので、昔「Gregory」の大型パックで使われていた厚い生地に張り替えてもらった。
ちょっと重くなったけれど、頑丈になったし、ダイゴさんの手が入った世界にひとつだけのパックになった。
なんでも、この大掛かりなボトムまるごと交換修理は、ぼくのほか、ホーボージュンさんだけなのだとか。
「もりやまー、マネしやがったな」って、ケツ蹴られるんだろうなあ。
ダイゴさんは、「Gregory」だけでなくエイアンドエフで取り扱う洋服からテントまでなんでも修理する男なのです。
「また旅でボロボロになったコイツに会える日を楽しみだ。またいつでも持ってきやがれ」
てなことを、ダイゴさんはやさしくつぶやくのでした。
ダイゴさん、ありがとうございました!!
今年最後の山行
今年最後の山は、西穂高岳の独標。
ロープウェイを使って登って、西穂山荘に泊まってのずるい山行だ。
「PEAKS」5号の巻頭&表紙取材。
約3年前、この西穂山荘で働く若者たちを「b*p」5号で取材した。
そのときのリーダーだった後藤さんがまだいらっしゃって、ぼくのことを覚えていてくれた。
物腰が柔らかく、礼儀正しく、山男っぽくない甘いマスクは、なんら変わっていない。
男の僕からみても、とても魅力的な男なのだ。
後藤さんによると、3年前に働いていた明石さん(当時25歳)と葉月さん(当時19歳)は先日結婚して、岡山に住んでいるという。
葉月さんのお腹には、なんと子どもがいるそうだ。
ここ西穂山荘で、出会って、いまは遠い岡山に住んでいるふたり。
できることなら、いつか再会して、もう一度話をしてみたい。
当時、もう付き合っていたとしたら、自分の取材力はまだまだということですな。
お姉さん肌だった大友さんは、下の横尾山荘で働いている。
3年前、兄弟のように同じ釜のメシを食い、同じ屋根の下で寝て、働いていた彼らは、当たり前だけどそれぞれの人生を歩んでいたのでした。
西穂山荘の名物、「西穂ラーメン」。
西穂に来たらこれを食べないと帰れない。
とんこつとしょう油味があるのだが、ぼくはしょう油派です。
雪がやってきた
小学校3年生の頃、大雪が降った。
やんちゃ盛りの兄と弟と僕は、一緒に屋根からソリで滑って遊んだ。
屋根にジャンプ台を作って、空が暗くなるまで飛びまくったなあ。
あれは、楽しかった。
ようやくあちこちで雪が降りはじめた。
しかし、コチラは部屋に閉じこもって原稿に追われている。
僕が生まれ育った湿気の多い日本海側に比べ、乾燥した東京の冬はなぜだかすこぶる寒くて。
原稿に集中したいときは、エアコンを入れてしまう。
で、もっと集中したいときは熱々のシャワーを浴びる。
すると、ふと書きたい文面が頭に浮かぶ。
なぜだろう?
原稿に詰まったら、熱々のシャワーを浴びるか、濃いコーヒーを飲むか、走るかのいずれかが効果があるとライター歴4年にしてようやくわかった。
いま、年末配布の「フィールドライフ」でsweden backpackingの記事を書き終わったところ。
うまくまとまったかわからんが、言いたいことは書けたと思う。
撮影/Goto Masato
大好きな巻機山
故郷新潟にある巻機山が好きなんだな。
あのブナ林といい、女体みたくエロチックな曲線を描いた尾根といい、谷川連峰が間近に眺められる絶景といい、下山後のへぎそば&日本酒といい、もう文句なし!
先週末、また雪の巻機山へ登ってきた。
今回の目的は、巻機山ではなく、民宿「雲天(うんてん)」に宿泊すること。
「雲天」を、知ったのは『ひとりぼっちの叛乱』(山と渓谷社)という本であった。
この本の主人公は、「雲天」の主人。
僕が生まれるちょっと前、巻機山にスキー場建設計画がもちあがった。
そう、日本中がスキー場ブームのときだ。
巻機山の登山口がある清水集落の村人はみな賛成だったが、「雲天」の主人は村で唯一反対した。
山菜やキノコをとって、食べて、山に生かされてきたのにスキー場なんてとんでもねえ!って怒ったそうだ。
「雲天」のとうちゃんがいなかったらいまごろ巻機山は、ハゲボウズにされて、ハイカラなウエアを着た若者がゾロゾロ歩いて、山頂までリフトがかかっていたかもしれない。
その「雲天」のとうちゃんとかあちゃんに会うことが、今回の山行の目的だった。
とうちゃんは、足を悪くして、もう猟や山にもでないようだが、まだまだ元気で囲炉裏を囲んで、楽しい昔話をたくさんしてくれた。
かあちゃんはパワー全開。
「いっぺ、食べなせ」を連発し、どんどん料理が出てくる出てくる。
お客というよりも、田舎のおばあちゃんちに行ったみたいな感じになる宿です。
一泊だけじゃものたりなかった。
みなさん、ぜひ遊びに行ってみてください。
心があったかくなります。